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神奈川17区衆議院小選挙区 支部長 牧島かれん 活動報告

カンボジアの支援現場より
カンボジアの恩師から現地の様子を記したメールが届きました。これまでも何度かご報告させていただいていますが、引き続き現地の様子をお伝えします。

(引用)
2週間ほど前、CさんとRさん(共にはたち代半ばの女性、夜間大学の4年生、シエムリアプ・カトリック教会に所属しています)に案内されてトゥムヌプ・オニュチャング村の子どもたちに会いに行きました。二人は大学の最終試験も終わったので、日曜日を利用して貧しいこの村の子どもたちへのケアーを始めたいということでした。
オニュチャング村には乗用車が入る道がないので、私たちはそれぞれ彼女たちのバイクの後ろに乗って村に向かいました。この村はアンコール・ワットの直ぐ手前に位置していますから、バイクが走る道はアプサラ道路と呼ばれる観光道路で、カンボジア内ではめったに見ることができないほど整備されています。
行き交うのは観光バスやトゥクトゥクですが、勿体ないと感じるほどすいていて、生活道路としては殆ど使われていません。比較的最近、この道沿いにアプサラ機構(遺跡を保全管理する政府機関)のオフィスが建設されましたが、大きな洒落た建物で、ひときわ目を惹きます。
私(隆一)を乗せたRさんは、「貧しい人々の様子は、観光客には見えないんですよね」とつぶやきました。確かに、近くにそれほど貧しい村があるとは思えなかったのですが、この舗装道路を離れてアプサラ・オフィスの裏側に回り、僅か100メートルほどデコボコ道を行った木立の裏に、オニュチャング村の集落が広がっていました。
一見して、私たちがいつも関わっているオー村より更に貧しい村だということが察せられました。

すぐに子どもたちとの交流が始まったのですが、私たちにとって予期しない経験となったのは、その後Eさんという中年男性と出会ったことでした。彼はトゥローという伝統楽器の演奏者だということで、私たちを熱心に彼の家に誘ってくれ、演奏を聞かせてくれました。
楽譜も見ずに、気持よさそうにカンボジアの行事でお馴染みの曲を次々と弾きながら、自分の演奏に合わせてスコー・ダイ(小太鼓)でリズムをとるように私たちを促したり、トゥローそのものを弾いてみるように勧めたり、とても気さくな人で私たちを楽しませてくれました。
全盲の奥さんも優しく私たちを迎えてくれました。聞くところでは、Eさんは田畑を持たないため、普段は荷車を曳き、くず拾いをして生計を立てているそうです。副職として結婚式などで 演奏することがありますが、7人のグループとして2日間雇われて、一人当たり1?だということです。
式場が遠い時にはバイクのガソリン代で消えてしまうと言っていました。そしてこの話をきっかけに、Eさんをはじめとしてこの村の人々は田畑を持たず、それがこの村が通常以上に貧しいことの背景だということを知りました。

カンボジアの農村では、仮に田を持っていても収獲した米を商品化できる農家は少なく、一般には一年間家族が消費するだけの米の収穫があるかどうかが問題となっているという現状です。そのため、生活を維持するためには農業以外に現金を得る道を探さなければなりません。
丁度6月26日に、rfa(ワシントンにキー・ステーションを置くカンボジア語放送局)がこの問題についてウェブサイトに取材記事を載せました。その内容の幾つかを抜粋、要約してみます。

30歳代の男性オーム・パウさん
「衣服を買うお金も子どもの通学に必要なお金もありません。10歳で4年生の娘を学校が休みの日に草刈りの仕事に雇ってもらい、学費を稼がせています。食事も充分には与えられず制服も買ってやれませんから、中学校に進ませることはできないでしょう。とてもつらいです。」

43歳の男性メーング・ニーさん
「家計の苦しい親は、子どもが5年生以上になって何らかの仕事ができるようになると、すぐに学校をやめさせます。」

二十歳代の女性ムト・パーンさん、涙ながらに
「学校に通わせることはおろか、病気になった時に病院へ行くお金もありません。食事を充分に摂れないので、血液不足の病気をもっています。子どもたちを働きに出さない限り、物を買うお金も食べ物を買うお金もありません。」

何人かの話
「米の収穫が少ないので、大人も子どももイモ畑の草むしりの仕事に雇ってもらいます。一日働いて1000リエル(20円くらい)です。」

男性チョムナクさん
「学問が大切なことは分かっています。でも定職が何もない以上、残念ですが子どもを学校に行かせることができません。」

6年生で退学した若い女性
「勉強はしたいです。私が学校に行けなくなった理由はたくさんあります……学校が遠いこと、ノートを買うお金がないこと、お父さんがいないこと、などです。学校をやめてからもう随分時間が経って、文字を書くことができません。」

この記事は、事態を憂えている中学校の先生のコメントも記しています。―
「年度の初めに7年生(中学1年生)は1クラス50人で5クラスでした。ところが年度末には5クラスは変わりませんが、1クラス20人になりました。半分以上がいなくなってしまったわけです」。

田畑を持っている場合でも農民の生活の実態がこの記事の内容のようであるとすれば、田畑のないトゥムヌプ・オニュチャング村の人々の生活がどのようなものか、想像に難くありません。

話はもとに戻りますが、Eさんとの出会いに先立って行われた「子どもたちの集い」では、小学生を中心に約50人の子どもたちが集まってきました。
その表情に暗い影は見えず、カンボジア特有の子供らしさを発散させていました。この日の集いでは特別なプログラムは用意せずただ顔合わせを目的にしていたのですが、CさんとRさんが上手に子どもたちをリードをして、歌を教えたり自己紹介の仕方を教えたりしていました。
これまでにない体験を、子どもたちは心から楽しんでいる様子でした。ただ、私たちの心をよぎったのは、この子どもたちが近い将来負うことになる生活上の負担がどのように重いものになるか、学校で学ぶことを妨げる障害がどのように大きなものになるか、という心配でした。

CさんとRさんの大学卒業後の将来像も確定しているわけではありませんから、トゥムヌプ・オニュチャング村の子どもたちとの関わりが今後どのように進んで行くのか、まだはっきりとは見えていません。
ただ、カンボジアの若い女性二人が特に貧しい村の子どもたちを心にかけ、彼らの喜びのために何かをしたいと願っている限り、私たち二人も彼女たちの友人として、
できるだけ傍に付き添っていたいと考えています。
(引用終わり)

カテゴリ:かれんより 外交・国際関係・拉致問題

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