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神奈川17区衆議院小選挙区 支部長 牧島かれん 活動報告

カンボジア便り
母校の恩師よりカンボジアからお便りが届きました。
今回のカンボジアの通信では「識字率」がテーマとなっています。
ぜひお読み頂き感想を寄せて頂ければと思っています。

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「子どもを入れるより、私が入りたいよ」。――オー村で最近始まった「子どもひろば」への幼児の参加を呼び掛けた時に耳にしたお母さんたちの言葉です。この「子どもひろば」にはクメール文字を教えるコーナーがあるのですが、文字の読み書きができないお母さんたちが、「自分たちこそ勉強したい」ということを冗談まじりに言っているのです。私たちを日頃助けてくれているスレイ・マウ(市街地在住の20歳代の女性)の話では、この村の場合、恐らく半分以上のお母さんたちは字の読み書きができないだろうということでした。そう言えば以前「奨学金生徒の集り」で、子どもに代わって出席したお母さんが受領書に自分の署名をすることができず、✓で済ませてもらったことがありました。また、新しく奨学金生徒として加わった子どもに対しては家庭訪問をして「身上書」を書いてもらうのですが、これをお母さんが書いたケースは今まで一度もありません。高学年生徒の場合は自分で書くのが普通ですが、それが難しい低学年生徒の場合は私たちに同行してくれている村の青年が代わって書いています。保護者に向けた学校からの「お知らせ」はプリントで行われることは殆どなく、通常は学校の壁か村の掲示板に貼り出されますが、読めない人は誰か他の人に読んでもらうのだそうです。
考えて見れば、現在のお母さんたちの少女時代は多くの人たちにとって、どんなに熱心に望んでも学ぶことが許されない、という時代でした。仮に今の5歳児のお母さんを30歳代と仮定すると、彼女たちが生まれたのは教育環境の上で最悪の時代でした。教育システムを徹底的に破壊したポルポトの支配が仮に終わっていた(1979年)としても、幼少期はその後の激しい内戦状況の中で育ったのですから。内戦終結のためのパリ和平協定(1991年)の時には既に小学校上級から中学の学齢になっていますから、それから新たに学び始めるということは事実上無理だったのでしょう。





冒頭で触れたオー村の「子どもひろば」ですが、これは今年の一時帰国から戻り、ふと思いついてこの夏から始めたものです。年齢が低い子どもほど、関わる人や生活範囲が狭いことは日本でも同様ですが、カンボジアの農村の場合はそれが一段と顕著です。一般に親は幼児をとても可愛がり、血縁内の繋がりは大変濃密ですが、親が子どもを外の世界に連れ出すということは殆どなく、子どもたちが集まる幼稚園や公園もありません。幼児期には家の仕事を手伝うこともなく、玩具や絵本などもありませんから、只々家の周辺でぶらぶらしている、ということになってしまいます。このような幼い子どもたちに何か楽しい時間と場所を準備することはできないか、と考えたことが「子どもひろば」の思いつきの背景です。
オー村小学校の校長先生に打診したところ、即座に「大歓迎!」という答えが返ってきました。実は数年前に、すべての公立小学校は幼稚園を併設するようにとの政府の指導があったようなのですが、周囲を見ても余り機能しているとは思えません。このオー村小学校でも一時幼稚園(小学校の教室で)を作ったものの、先生の確保ができないため頓挫したとの校長先生の話でした。私たちの提案は校長先生にとっては“渡りに船”だったわけですが、私たちはこれを「幼稚園」とは呼ばないで下さいと頼んでいます。一週間に一度しかクラスを開けませんし、私たちは教員として養成されているわけではありませんから。幼い子どもたちに「公園」を提供するというような意味で「子どもひろば」と呼んでいます。また、場所の狭さや私たちの能力の限界から、5歳児限定としました。
呼びかけ後約1週間で68名の5歳児が参加して来ました。1時間30分の時間枠で「クメール文字(識字)コーナー」、「絵や手芸で遊ぶコーナー」「音楽を楽しむコーナー」を設けています。手芸や音楽に関しては私たちが直接に担当していますが、クメール文字に関しては上記のスレイ・マウが先生役を担っています。恭子は以前、日本の幼稚園でお手伝いをした経験がありますので慣れていますが、隆一にとってはかなりの畑違いで、毎回意表を突かれることの連続でとても刺激的です。




日本では幼稚園での文字指導は必須のものとは考えられていないと思いますが、カンボジアの幼稚園(公立、私立をあわせ、在園児童は全国平均で8%程度)では却って文字指導は普通に行われているようです。上に触れたオー村のお母さんの例のように、現実の「識字問題」が大きいことの反映かも知れません。つい先日の9月8日は国連識字デーで、しかも今年は「国連識字の10年」の最終年に当たっています。これは「2003年から2012年までの10年で世界のすべての人々に識字能力を与える」という国連総会の宣言です。達成不可能と分かっている目標が国連の名によって掲げられるということへの驚きはさて置き、カンボジアの現実を見ると多少の向上は見られるものの、根本的な問題は依然存在し続けています。2008年に行われたカンボジアの国勢調査での成人識字率は77.6%とされていますが、「文字を読めますか」「はい、読めます」程度のやり取りで行われる調査だということですから、実際の識字率はこの数字よりかなり低いのだろうと想像されます。字の読み書きができないために契約上で騙されるケースも多発しています。識字デーに当たって、作家のコー・タラリット氏は「字の読み書きができて初めて、社会の中で何が現実に起こっているかを知り、また人権問題などに関して民主主義がどのように機能しているかを知ることができる」と述べて、カンボジアでの非識字人口が特に貧困層に多いことへの懸念を表明しています。
ただ、このような「識字問題」の根の深さを承知しつつも、私たちはオー村の「子どもひろば」を“教育”だとは考えず、“関わり”だと思うようにしています。実際上、70歳前後の爺さん婆さんが5歳の孫たちと戯れているようなものですから。もしかすると、戯れてもらっているのかも知れません。




カテゴリ:かれんより カンボジア

月刊 政治かわら版 牧島かれん国政報告
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