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神奈川17区衆議院小選挙区 支部長 牧島かれん 活動報告

2014年11月、1ヶ月の活動報告
201411月の月間活動報告を致します。
 
11 1
箱根登山鉄道新造車両出発式
小田原地下街「ハルネ小田原」オープニングセレモニー
支援者、結婚式
秦野大根地区国政報告会
カンナ削り練習
 
11 2
30回桜井地区芸能祭
南足柄市産業まつり
成田文化祭
飯泉観音ご開帳
相和地区優勝報告祝賀会
石倉後援会役員会
秦野北地区国政報告会
 
113
室生神社例大祭式
23回たちばなファミリーフェスティバル
45回川東地区婦人バレーボール大会
はだの市民の日開会式
支援者、弔問
久野ざる菊まつり
MK会誕生会
 
11 4
朝の駅立ち、湯河原駅
財務省、面会
多様な働き方を支援する勉強会
議院運営委員会
代議士会
本会議
幹事長と衆議院議員1期生との昼食懇談会
無駄撲滅プロジェクトチーム
第二回先端技術研究会
いいくに会・全国青年市長との勉強会懇親会
一期生勉強会
 
11 5
政調、IT戦略特命委員会・インターネットメディア利活用推進議員連盟合同会議
鳥獣被害対策特別委員会・鳥獣捕獲緊急対策議連合同会議
自民党日本版マイスター制度推進議員連盟設立総会
若手JC関係議員による勉強会
ジオパークによる地域活性化推進議員連盟()設立総会
人口減少対策議員連盟第4回勉強会
下水道事業促進全国大会
自由民主党たばこ議員連盟第2回総会
日本銀行、面会
日本経済新聞、取材
ネットメディア局、広報戦略局の打ち合わせ会
国会対策員会9班・10班懇親会
ドイツ視察反省会・懇親会
 
11 6
国際保健医療戦略特命委員会・外交部会・国防部会・厚生労働部会合同会議
議院運営委員会
代議士会
本会議
宮中行事秋の園遊会
一般社団法人日本左官業組合連合会と左官業振興議員連盟会員議員との懇親会
アフリカ女性大使との会食及び意見交換
 
11 7
クールジャパン戦略特命委員会
小田原市教育長、面会
国会対策委員会
国土交通省土地建設産業局、面会
建設現場における墜落災害撲滅・安全足場設置推進議員連盟総会
厚生労働委員会
JAかながわ農協青壮年部協議会、面会
 
11 8
7回岡本支店まつり
江月院誓光寺晋山式
矢倉沢ざる菊まつり開会式
30回削ろう会小田原大会開会式
支援者、弔問
事務所会議
父と娘の二人展
柔友会柔道部激励会
 
11 9
36回報徳マラソン大会開会式
32回共和地区親睦ゲートボール大会
秦野障害者スポーツフェスティバル
秦野市南地区老人会踊りの発表会
名古木自治会まつり
鈴木のりお市政報告会・芋煮会
8回おいしいもの横丁のうまいもん祭り・小田原駅前東通り商店街オープニングセレモニー
支援者、お見舞い
未病プロジェクト
秦野市南地区国政報告会
アイムふぇとだーる
中井町長選挙開票
 
11 10
羽田空港
沖縄県知事選挙応援、石垣市
 
11 11
沖縄県知事選挙応援、西表島
羽田空港
 
1112
自由民主党介護福祉議員連盟
経済産業委員会
総務省、面会
国会見学(鴨宮飲食店組合)
財務金融委員会
内閣府、面会
 
11 13
自由民主党競馬推進議員連盟勉強会
地方創生特別委員会
政務調査審議会(国際保健医療戦略特命委員会の提言)
国会見学
総務会(国際保健医療戦略特命委員会の提言)
議院運営委員会
為公会例会
代議士会
本会議
拉致議連総会
温泉所在都市協議会会長 浜田博別府市長、面会
選挙必勝塾
平成26年度トラック業界の要望を実現する会
内閣府、面会
性的マイノリティに関する課題を考える会、勉強会
 
11 14
国会対策委員会
国土交通委員会
国土交通省、面会
議院運営委員会
NPONGO関係団体委員会役員会
代議士会
本会議
全国過疎地域自立促進連盟第45回定期総会
平成二十六年度新東名高速道路建設促進協議会促進大会
自動車整備政経研究会講師
 
11 15
西丹沢もみじ祭り
山北スマートIC関係者懇談会
真鶴町国政報告会
 
11 16
山北崩壊現場について研究会・山北町森林組合
狩野公民館祭り 
グランドゴルフ大会代表者会議
支援者、来訪
 
11 17
神奈川県政における説明会
2014全日本学習塾連絡会議教育セミナー
江渡聡徳防衛大臣、エボラについての申し入れ
石破茂地方創生大臣・有村治子内閣府特命担当大臣、人口減少対策申し入れ
石破茂大臣、ジオパークによる地域活性化推進議員連盟・緊急要請活動
小田原記者クラブ取材
小田原市倫理法人会30周年記念式典・講演会
 
11 18
政調、安全保障調査会勉強会  
地方創生実行統合本部
自由民主党物流倉庫振興推進議員連盟
自由民主党果樹農業振興議員連盟総会
政調、食料産業調査会(HACCP、ハラール)
国会対策委員会
官房長官表敬訪問(カンボジア王国リー・トゥイッ上級大臣・トライアジアグループ横井CEO)
議院運営委員会
国際人口問題議員懇談会(JPFP)総会
児童の養護とみらいを考える議員連盟
代議士会
本会議
政調、税制調査会総会・政調、税制調査会小委員会
支援者、弔問
みのさん出版記念祝賀会
 
11 19
日本リビア友好議員連盟設立総会
統合医療推進議員連盟第3回政策委員会
久保寺邦夫県議、杉本透県議、守屋てるひこ県議との選挙対策会議
 
11 20
支援者、訪問
各地区役員等挨拶まわり
自民党南足柄役員会
 
1121
議院運営委員会
代議士会
本会議(衆議院解散)
両院議員総会
テレビ神奈川取材
安倍総裁と党役員との写真撮影実施
富士見地区守屋県政報告会
 
1122
久野世代間交流事業
白梅LC植樹事業贈呈式
野坂市議芋煮会
開成イーグルス40周年記念式典・祝賀会
支援者、懇談会
支援者、弔問
 
11 23
小田原百貨店 南足柄店朝礼
実朝まつり式典
竹の子学園「竹の子祭」
金太郎大もみじ鑑賞会
酒匂保護司会懇談会
政見放送収録(小田原城)
17区全体会議
 
11 24
かれん杯ソフトボール大会
かれん杯グランドゴルフ大会
今井地区守屋県政報告会
秦野役員会
 
11 25
朝の駅立ち、鶴巻温泉駅
相日防災朝礼
小田原、秦野企業ご挨拶まわり(久保寺邦夫県議同行)
南足柄市後援会支部長会議
自民党秦野市連合支部講演会
 
1126
泉八朝礼
小田百寿町店朝礼
支援者、訪問
上郡企業ご挨拶まわり(杉本透県議同行)
小田原企業ご挨拶まわり(守屋てるひこ県議同行)
矢秀庵ゴルフコンペ懇親会
支援者、訪問
開成町選対会議
久保寺なでしこ役員会
久保寺あゆみの会
 
1127
朝の駅立ち、東海大前駅
みのや本社朝礼
支援者、訪問
中井町老人会パークゴルフ大会
東海ビルメン小田原支店安全衛生大会
支援者、弔問
秦野JC公開討論会
 
1128
朝起会
クレシア、挨拶
朝の駅立ち、開成駅
小田原百貨店 山北店朝礼
卸売団地ご挨拶まわり(守屋てるひこ県議同行)
小田原ガス昼礼
遊説打ち合わせ
支援者、弔問
 
1129
支援者、ご挨拶まわり
松田町後援会役員総会
中井町「あかりの祭典」
小沢後援会役員会
国府津生涯スポーツ優良団体文科大臣表彰受賞祝賀会
小田原教育向上委員会シンポジウム
異業種交流会
小田原薬剤師会保健薬局全体会
 
1130
十全堂薬局旅行お見送り
軽トラ市支援者ご挨拶まわり
淡交会青年部卒業茶会
友愛サッカークラブ創立10周年記念式典
小田原地区選挙対策会議
小田原JC公開討論会
 
※一部を抜粋しています。
 外交上の理由等により掲載できないものもあります。
 
2013年11月、1ヶ月の活動報告
201311月の月間活動報告を致します。
 
11 1
国家安全保障に関する特別委員会
財務金融委員会
議院運営委員会(検査官候補者の所信に対する質疑)
政調、青少年健全育成調査会
議院運営委員会
代議士会
本会議
厚生労働委員会

112
久野 星友会バス旅行お見送り 
ざる菊まつり開会式
鈴木紀雄市議市政報告・芋煮会
秦野商工会議所青年部創立30周年記念式典
小田原民族芸能保存協会芸能大会
事務所、来客
狩猟グループ、決起大会

11 3
44 川東地区婦人バレーボール大会
富士見地区体育祭
「たんぼの恵みを感じる会」収穫祭
29 桜井地区芸能祭
ライオンズ募金活動
久野さくら会、芋煮会
南足柄市産業祭り
久野ざる菊祭
山北町 室生神社例大祭
秦野市市民の日
橘商工会フェスティバル
小田原市医師会合唱団定期演奏会
小田原城菊花展
MK会主催、誕生日会

11 4
山北町 清水地区芋煮会 開会式 
野坂市議、芋煮会
「アフリカ三カ国歴訪 報告会」
南足柄懇親会

11 5
国家安全保障に関する特別委員会
議院運営委員会
障がい者乗馬(国会議事堂正面にて、障がい者の乗馬に関する啓発活動)
代議士会
本会議
自由民主党たばこ議員連盟、総会
国家安全保障に関する特別委員会
神奈川県知事「黒岩祐治君を励ます会」

11 6
政調、「子どもの元気!農村漁村で育むプロジェクト小委員会」
参議院体験プログラム:松田町立寄小学校6年生、国会見学
厚生労働委員会
自民党お祭り議員連盟、総会
財務金融委員会
国家安全保障に関する特別委員会
国際局役員会
自民党県連政経文化パーティー
「勁草の会」勉強会

11 7
政調、厚生労働部会・薬事に関する小委員会合同会議
議院運営委員会
為公会例会
代議士会
本会議
7回世界スカウト国会議員連盟(WSPU)全大会
国会安全保障に関する特別委員会
JICAアフリカ部ガーナ担当者、面会
平成25年度自衛隊記念日レセプション
アパグループ”ワインの会”

11 8
自動車議員連盟総会
国家安全保障に関する特別委員会
議院運営委員会
在京米国大使館書記官、面会
代議士会
本会議
ストップ!過労死集会
経済産業委員会
鴨宮後援会発足集会

11 9
新潟県出張(自由民主党新潟県政経文化セミナー)

11 10
35回報徳マラソン大会開会式
久野世代間交流事業
名古木自治会祭り
31回共和地区親睦ゲートボール大会 
大井町環境展
南足柄中沼地区 文化祭
雨坪秋のお祭り 雨坪ささら踊りお披露目 
狩野公民館祭り
サポセンまつり
後援会役員、打ち合わせ
アイムふぇとだあるコンテスト

11 11
内閣府(内閣官房)、質問通告
国家安全保障に関する特別委員会

11 12
国会対策委員会
内閣部会役員会
大井町後援会、国会勉強会
国家安全保障に関する特別委員会(質疑)
郵便局の新たな利活用を推進する議員連盟総会

11 13
財務金融委員会
国家安全保障に関する特別委員会
内閣部会
財務金融委員会
6回「税制調査会・勉強会」
政調、金融調査会及び財務金融部会合同会議
外務省アフリカ第一課、面会
アイスホッケーアジアリーグ応援

11 14
政調、農林水産戦略調査会・農林部会林政小委員会合同会議
自由民主党「統合医療推進議員連盟」設立総会
国家安全保障に関する特別委員会
秦野市保育園園長会、国会見学
国家安全保障に関する特別委員会
発達障害の支援を考える議員連盟
一年生同期、勉強会

11 15
国家安全保障に関する特別委員会
議院運営委員会
代議士会
本会議
国家安全保障に関する特別委員会

11 16
久野そば試食会 
第一回 南足柄運動会
西丹沢もみじ祭り
JAはだの農業まつり
「エネルギーから経済を考える」出版記念の集い
支援者、結婚式
井ノ口あかりの祭典

11 17
小田原シニアペタンク大会
支援者、弔問
大稲荷神社 錦織祭
支援者、弔問

11 18
人口と高齢化に関する国際国会議員会議、開会式
神奈川県政に関するヒアリング
国際局役員会
予算・税制等に関する政策懇談会(生活安全関係団体)
政調、厚生労働部会医療委員会難病等に関するプロジェクトチーム
人口と高齢化に関する国際国会議員会議参加者歓迎レセプション

11 19
「国民医療を守る議員の会」総会
国家安全保障に関する特別委員会
議院運営委員会
内閣部会・外交部会・文部科学部会・環境部会合同会議
代議士会
本会議
国家安全保障に関する特別委員会
同期お見舞い

11 20
FCV(燃料電池自動車)を中心とした
水素社会実現を促進する研究会
第六回勉強会
政調、安全保障と土地法制に関する特命委員会
国家安全保障に関する特別委員会
経済産業委員会
決算行政監視委員会
政調、税制調査会総会
政調、国土交通部会勉強会
厚生労働委員会
国際局役員勉強会
国家安全保障に関する特別委員会

11 21
第二回全旅連青年部との朝食懇談会
支援者、弔問
代議士会
本会議
国家安全保障に関する特別委員会
日本東洋医学会、面会
内閣府少子化対策担当、面会
議院運営委員会懇談会
海外メディア懇親会

11 22
政調、内閣部会・国土交通部会・観光立国調査会合同会議
日本の誇れる漢方を推進する議員連盟
財務金融委員会
議院運営委員会
代議士会
本会議
財務金融委員会
国土交通委員会
自動車整備政経研究会

11 23
井ノ口勤労感謝ふれあいの集い
白梅ライオンズ植樹
18 竹の子祭
JAふくざわ支店祭り
鍵和田きみよ後援会・みかん狩りと芋煮会
支援者、弔問
26 実朝まつり
FMおだわら藍美セレクション1周年記念パーティー
神奈川県フォーラム

11 24
19回 神奈川県少年少女空手道選手権大会
JC 11月事業「つながりにありがとう〜みらいへのやくそく」
軽トラ市
16 小田原市地区公民館いきいきフェスタ
秦野市政報告会
県央ソフトテニス協会 秋季懇親大会
自民党小田原市連合支部大会 総会・懇親会

11 25
消防団120年、自治体消防65周年記念大会
内閣部会(月例経済報告)
政調、生殖補助医療に関するPT
アニマルセラピーに関する勉強会
国家安全保障に関する特別委員会

11 26
政調、農林水産戦略調査会・農林部会林政小委員会合同会議
政調、観光立国調査会(2020五輪)
国家安全保障に関する特別委員会(TV中継)
政調、厚生労働部会・雇用問題調査会合同会議
国会見学(秦野市青壮年部)
議院運営委員会
代議士会
本会議

11 27
文部科学委員会
二宮尊徳思想研究会総会
外務委員会
国土交通省鉄道局、面会
総務省都道府県税課、面会
警察庁、面会
訪日ASEAN議員会議(AIPA)議員団と女性議員の懇談
シェアハウスの実態視察

11 28
LPG対策議員連盟総会
国土交通省、都市政策課、面会
国会見学(東富水・富水後援会)
議院運営委員会
代議士会
本会議
カナダ大使館、面会
7回「さわらび会」勉強会

11 29
自民党自動車整備議員連盟総会
政調、雇用問題調査会 過労死等防止に関するWT
財務金融委員会
JAかながわ西湘国政勉強会
警察小委員会
政調、政調全体会議
内閣部会役員会
総務省、情報通信政策課、面会
内閣委員会

11 30
豊川地区高齢者交通事故防止教室
児童画展 表彰式
自民党役員、訪問
支援者、お見舞い
カンボジア支援、相談
 
※一部を抜粋しています。
外交上の理由等により掲載できないものもあります。
カンボジア便り
母校の恩師よりカンボジアからお便りが届きました。
今回のカンボジアの通信では「識字率」がテーマとなっています。
ぜひお読み頂き感想を寄せて頂ければと思っています。

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「子どもを入れるより、私が入りたいよ」。――オー村で最近始まった「子どもひろば」への幼児の参加を呼び掛けた時に耳にしたお母さんたちの言葉です。この「子どもひろば」にはクメール文字を教えるコーナーがあるのですが、文字の読み書きができないお母さんたちが、「自分たちこそ勉強したい」ということを冗談まじりに言っているのです。私たちを日頃助けてくれているスレイ・マウ(市街地在住の20歳代の女性)の話では、この村の場合、恐らく半分以上のお母さんたちは字の読み書きができないだろうということでした。そう言えば以前「奨学金生徒の集り」で、子どもに代わって出席したお母さんが受領書に自分の署名をすることができず、✓で済ませてもらったことがありました。また、新しく奨学金生徒として加わった子どもに対しては家庭訪問をして「身上書」を書いてもらうのですが、これをお母さんが書いたケースは今まで一度もありません。高学年生徒の場合は自分で書くのが普通ですが、それが難しい低学年生徒の場合は私たちに同行してくれている村の青年が代わって書いています。保護者に向けた学校からの「お知らせ」はプリントで行われることは殆どなく、通常は学校の壁か村の掲示板に貼り出されますが、読めない人は誰か他の人に読んでもらうのだそうです。
考えて見れば、現在のお母さんたちの少女時代は多くの人たちにとって、どんなに熱心に望んでも学ぶことが許されない、という時代でした。仮に今の5歳児のお母さんを30歳代と仮定すると、彼女たちが生まれたのは教育環境の上で最悪の時代でした。教育システムを徹底的に破壊したポルポトの支配が仮に終わっていた(1979年)としても、幼少期はその後の激しい内戦状況の中で育ったのですから。内戦終結のためのパリ和平協定(1991年)の時には既に小学校上級から中学の学齢になっていますから、それから新たに学び始めるということは事実上無理だったのでしょう。





冒頭で触れたオー村の「子どもひろば」ですが、これは今年の一時帰国から戻り、ふと思いついてこの夏から始めたものです。年齢が低い子どもほど、関わる人や生活範囲が狭いことは日本でも同様ですが、カンボジアの農村の場合はそれが一段と顕著です。一般に親は幼児をとても可愛がり、血縁内の繋がりは大変濃密ですが、親が子どもを外の世界に連れ出すということは殆どなく、子どもたちが集まる幼稚園や公園もありません。幼児期には家の仕事を手伝うこともなく、玩具や絵本などもありませんから、只々家の周辺でぶらぶらしている、ということになってしまいます。このような幼い子どもたちに何か楽しい時間と場所を準備することはできないか、と考えたことが「子どもひろば」の思いつきの背景です。
オー村小学校の校長先生に打診したところ、即座に「大歓迎!」という答えが返ってきました。実は数年前に、すべての公立小学校は幼稚園を併設するようにとの政府の指導があったようなのですが、周囲を見ても余り機能しているとは思えません。このオー村小学校でも一時幼稚園(小学校の教室で)を作ったものの、先生の確保ができないため頓挫したとの校長先生の話でした。私たちの提案は校長先生にとっては“渡りに船”だったわけですが、私たちはこれを「幼稚園」とは呼ばないで下さいと頼んでいます。一週間に一度しかクラスを開けませんし、私たちは教員として養成されているわけではありませんから。幼い子どもたちに「公園」を提供するというような意味で「子どもひろば」と呼んでいます。また、場所の狭さや私たちの能力の限界から、5歳児限定としました。
呼びかけ後約1週間で68名の5歳児が参加して来ました。1時間30分の時間枠で「クメール文字(識字)コーナー」、「絵や手芸で遊ぶコーナー」「音楽を楽しむコーナー」を設けています。手芸や音楽に関しては私たちが直接に担当していますが、クメール文字に関しては上記のスレイ・マウが先生役を担っています。恭子は以前、日本の幼稚園でお手伝いをした経験がありますので慣れていますが、隆一にとってはかなりの畑違いで、毎回意表を突かれることの連続でとても刺激的です。




日本では幼稚園での文字指導は必須のものとは考えられていないと思いますが、カンボジアの幼稚園(公立、私立をあわせ、在園児童は全国平均で8%程度)では却って文字指導は普通に行われているようです。上に触れたオー村のお母さんの例のように、現実の「識字問題」が大きいことの反映かも知れません。つい先日の9月8日は国連識字デーで、しかも今年は「国連識字の10年」の最終年に当たっています。これは「2003年から2012年までの10年で世界のすべての人々に識字能力を与える」という国連総会の宣言です。達成不可能と分かっている目標が国連の名によって掲げられるということへの驚きはさて置き、カンボジアの現実を見ると多少の向上は見られるものの、根本的な問題は依然存在し続けています。2008年に行われたカンボジアの国勢調査での成人識字率は77.6%とされていますが、「文字を読めますか」「はい、読めます」程度のやり取りで行われる調査だということですから、実際の識字率はこの数字よりかなり低いのだろうと想像されます。字の読み書きができないために契約上で騙されるケースも多発しています。識字デーに当たって、作家のコー・タラリット氏は「字の読み書きができて初めて、社会の中で何が現実に起こっているかを知り、また人権問題などに関して民主主義がどのように機能しているかを知ることができる」と述べて、カンボジアでの非識字人口が特に貧困層に多いことへの懸念を表明しています。
ただ、このような「識字問題」の根の深さを承知しつつも、私たちはオー村の「子どもひろば」を“教育”だとは考えず、“関わり”だと思うようにしています。実際上、70歳前後の爺さん婆さんが5歳の孫たちと戯れているようなものですから。もしかすると、戯れてもらっているのかも知れません。




カテゴリ:かれんより カンボジア

カンボジアの子どもたち
このブログで継続的に紹介しています、カンボジアで支援活動をしている恩師からの現地の様子の最新レポートが届きましたのでお伝えします。

(引用)
仮に、アンコール・ワットなどの遺跡観光を目的にカンボジアを旅した人たちでも、この国を後にする時には、偶然に出会った子どもたちの独特な仕草や表情が脳裏に焼き付いているのではないでしょうか。それほど、特に農村部の子どもたちが生きいきと笑ったり微笑んだりする時の表情には、一瞬見惚れてしまいそうな不思議な魅力があります。そして、家計を助けるための畑仕事や漁の手伝いなど、きつい仕事をしている時でさえ、彼らの表情から子どもらしい清々しさが消えていないことに一種の驚きを感じます。

私たちを訪ねて来てくれる多くの日本の若い人たちも、こうしたカンボジアの子どもたちの姿に深く印象づけられるようです。そして以前には感じることのなかったような疑問が心の中に浮かんでくると、感想を漏らしてくれます。
「今にも崩れそうな藁ぶき屋根の家に住み、日々の食事にも事欠き、遊び道具もなく、学校に通うことについてさえ大変な苦労をしなければならない子どもたちが、どうしてこのような曇りのない爽やかな笑みを浮かべることができるのだろう。このような表情は、自分の子ども時代を含めて、日本の子どもたちから次第に失われて行っているような気がする。カンボジアの子どもたちの目から見れば、まるで天国のような生活をしている日本の自分たちは、彼らのように生きる喜びを表しているだろうか、逞しく生きているだろうか。自分たちは彼ら以上に幸せなのだろうか。“幸せ”とは何だろう。」
勿論、6年半もカンボジアに住んでいても、私たちがこうした疑問に答えられるわけではありません。カンボジアの子どもたちの大きな目を見ていると、彼らがこのような“問い”を投げかけているという気持にさせられるのは、私たちも同じです。



実は先日、オー村での「奨学金生徒の集り」で、子どもたちが“幸せ”についてどう感じているか、ほんのわずかの時間ですが尋ねてみました。生徒は小学2年生から高校3年生までの63名で、「自分が幸せだと感じる時に一番大切だと考えている点は何か」を幾つかの選択肢から選んでもらうことと、それについてのごく簡単な一行コメントを書いてもらうというアンケート形式をとりました。選択肢として設定したのは、「家族」「健康」「家での仕事」「勉強」「友人」「仏教の教え」「趣味・遊び」の7項目で、無記名で行いました。
結果として、大半の生徒が「家族」(29人)か「健康」(24人)を選びました。「家族」については、多くの生徒が「家族が幸せなら私も幸せ」、「家族が仲良く、助け合っていることが幸せ」とコメントしています。「健康」と回答した生徒がそれに次いで多いことにさほど驚きませんでしたが、コメントを読んでみて、新発見がありました。それは、殆どすべての生徒が「健康」を「家族の健康」と捉えていることです。主なコメントは「健康が家族を支えている」「家族の健康が幸せのもと」などです。「自分の健康」を家族から切り離して考えるという様子は見られません。同様のことが他の項目についても言えます。「家での仕事」を選んだ生徒(6人)は家族を支えているという意識を持った上で、特に自分に任されている仕事が“好きだ”という理由で選んでいるようです。「勉強」を選んだ生徒のすべてが「知識を増やして家族を助けたい」「将来、仕事をもって家族を幸せにするために勉強したい」と述べています。「勉強」という選択肢を選んだ生徒が3人しかいなかったのはやや意外でしたが、逆に「家族」を選んだ生徒の内の幾人かが「家族が温かく、私が勉強を続けることを支えてくれている」という趣旨のコメントをしているのを見ると、勉強も将来の仕事も、彼らの意識の中では「家族」と一つになっているということに気づきます。因みに、「仏教の教え」と「趣味・遊び」を選んだ生徒は一人もいませんでした。





少し話題が変わりますが、先日新しくオープンしたちょっと洒落た喫茶店に入ったところ、ウエートレスが余り流暢とは言えない日本語で話しかけてきました。彼女はまだ25歳という若さで、5歳の男の子と2歳の女の子の母親です。次第に身の上話風になってきたのですが、それによれば子どもの頃、家が貧しく父親が足に障害をもっていたため、「子どもセンター(養護施設)」に預けられて育ったということです。その施設では日本語を教えていたため、一生懸命勉強して良い成績を収め、日本で開かれたアジアの青年フォーラムにも派遣されたそうです。しかしその後、18歳で結婚したものの、今は離婚して小さな部屋を借り、二人の子どもを育てています。この喫茶店の給料が月50法部屋代が20砲如△箸討眄験茲任ないと悩みを語っていました。特に来年度から小学校に入学する男の子の教育費に頭を痛めている様子でした。
カンボジアの子どもたちが幸せの条件として「家族」を一番大切にしているとは言っても、このウエートレスの例のように、実際の家族がみな幸せであるわけではありません。むしろ家庭内暴力や家庭崩壊の例は多く、その度に、子どもから「幸せであるために一番大切なこと」が奪われています。上に触れたオー村でのアンケートでは、将来に対する生徒たちの気持も聞いてみたのですが、そこでも私たちが予期していなかった反応がありました。かなり多くの高学年の女子生徒が、「将来の不安」について書いているのですが、その内容も結婚して新しく持つことになる「家族」についてで、夫が家族を大事にしてくれるか、暴力を振るわないか、仕事をきちんとしてくれるか、外に女性を作らないか、などでした。カンボジアの人たちにとって「家族」は幸せであるための最大の強みでもあり、最大の弱みでもある、と言えるのかも知れません。




強みであるにしても弱みであるにしても、「自分の幸せ」と「家族の幸せ」を一つのものと感じていることが、カンボジアの子どもたちの意識と私たちの意識との大きな違いだという気がします。カンボジアの子どもたちにとって、「家族」は単なる選択肢の一つではなく、意識の全体を占めています。それは私たちの目には“素朴過ぎる”とも見えるのですが、私たちがカンボジアの子どもたちの表情を見た時にハッとさせられるのは、私たちが失いかけているこの「素朴さ」を彼らが思い出させるから、ではないでしょうか。

 


カテゴリ:かれんより 外交・国際関係・拉致問題



カンボジアの水害の様子
水害に悩まされたカンボジアの様子を現地から送って頂きましたので、皆様にもご報告します。

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アンコール・ワットを訪ねると、まず驚かされるのは周囲を廻る「堀」の堂々たる威容です。この堀を渡って外壁の塔門をくぐり中心に向かって進むと参道の左右には「聖池(蓮池)」が配され、なお寺院の中心部分に入ると直ぐ正面に展開する十字回廊には4つの「沐浴の池」があります。第一回廊のレリーフには「トンレサップ湖」が頻繁に描かれ、更に最も重要で最も高い位置にある中央祠堂にも4つの「聖池」が置かれています。つまり長い歴史を通してのカンボジアの人々と“水”との関わりが、精神的にも現実的にも特別な意味を持っていたということを、アンコール・ワットそのものが表現しているように感じられます。そしてそれは同時に当時の王たちにとっては、「水を制する者、世界を制す」の表現でもあったのでしょう。ヒンドゥー教の三主神は創造の神、維持の神、破壊の神ですが、“水”はそのすべての神的な力を象徴すると考えていたかも知れません。現在、アンコール・ワットの時代から800年以上も経っていますが、今回の水害を通して、未だに“水”がカンボジアの人々にとってどれほど大きなインパクトを持っているかということを、垣間見た思いがしました。


写真:村の住居と冠水した道 高床式の家の床まで水が上がっています。

「タイの大規模な水害の影に隠されているが、隣国カンボジアの水害はその対応能力の点から考えると更に深刻だ」と報じたアメリカのメディアがあったようですが、確かにカンボジアでの水害も「10年に一度」とも「歴史上最大の」とも言われるほどの大規模なものでした。9月の半ばから本格化した増水は約一か月半続きましたが、その間、ほぼ全国に亘って河川の氾濫が起こり、多くの道路、橋、家屋、田畑などが甚大な被害を受けました。30.000以上の家族が家屋を捨てて避難し、1,500,000人以上が被災したということです。これは全人口の10%以上に相当します。ごく最近の政府発表によれば、死者は250人以上、田畑の損壊は400.000任傍擇咾泙靴拭H鏗価躋曚錬毅横亜ぃ娃娃亜ぃ娃娃悪砲反篦蠅気譴討い泙后世界のどの地域でも同じだと思いますが、こうした災害の際に再認識させられることは、弱く貧しい立場にいる人たちほど、最もつらい状況に晒されるということです。政府、党、カンボジア赤十字、NGOなどが村々を廻って連日支援活動を行っていますが、被災家族が受ける支援物資は一例をあげると(政府による支援のケース)、米10圈▲ぅ鵐好織鵐般唯横安沺塩、魚醤、蚊取り線香、毛布、漁のための網などです。米は5日間しかもたないだろうと、村人の一人は語っています。多くの農民が家、家財道具、家畜の一切を失った上に、収穫期を目前にした水田が全滅したことで、来年1年間、家族が食べる米さえも失ってしまった状況にあります。


写真:ミサの前のカトリック教会

シエムリアプ県は全国(23県、1特別市)で最も被害の大きかった4県の内の一つでした。その中心都市シエムリアプ市は街の中心であるオールド・マーケット、パブ・ストリートや、目抜き通りであるシヴタ通りの冠水が激しく、約2週間は大型の四駆か観光バスでなければ通れない状態になりました。時々ここに突入して行く普通乗用車やバイクを見かけましたが、あちこちでエンジンストップを起こしていました。観光客もバスでホテルを出入りするのがやっとでショッピングの余裕はありませんし、多くの店が床上浸水しましたので、土産物店やレストランの人たちへの打撃も大きかったことだろうと思います。数多く存在する遺跡に関しては、冠水と交通の遮断で一時は多くの遺跡で見学不可でしたが、この点での復興は比較的短期間で済みました。ただ有名な遺跡バンテアイ・スレイでは外国人観光客が川に流され、死者が出たという残念な事件もありました。その時一緒に流された日本人は引き上げられて助かったということです。
我が家は繁華街から離れていますが、排水設備が完備されていない裏道ですので、家の周辺は一面冠水しピーク時には大人の膝くらいの深さになりました。幸い床上浸水は免れました。一昨年の洪水の際、無理をして車で外出したために、大通りで「車の床上浸水」を起こしてエンジンがストップし、近くにいたカンボジアの人たちに車を押してもらって脱出したという反省もあり、今回は車での外出を早めに諦めて“籠城”を決め込みました。しかし、食べ物の備蓄もなくなり、“水攻め”は次第に“兵糧攻め”の観を呈して来ましたので、意を決して徒歩で家を脱出して、冠水していない安いホテルに2泊しました。実はこの時、日本から一人のお客さんを迎えていたのですが、オールド・マーケット近くの宿泊ホテルにアプローチする手段がないことが最も不便を感じた点でした。


写真:オー村で奨学金生徒の家庭訪問に向かうところ

いつものことですが、このような非常事態の中でも、カンボジアの人々の逞しさを印象付けられる場面が多々ありました。街の子どもたちは巨大プールと化した目抜き通りで泳いだり、手製のボートに乗ったりしてはしゃいでいます。村の子どもたちは大勢で集まって魚釣りに興じています。洪水のときは大漁が期待できるのだそうです。モトドップ(後ろに客を乗せるバイク・タクシー)やトゥクトゥク(幌付きのバイク・タクシー)の運転手さんたちは―勿論死活問題ではあるのですが―余程の深さでなければ水の中に突っ込んで行ってくれます。但し、普段より割高料金です。カンボジアに住んで6年近くになりますが、この異常事態の中で、今までで最も親切なトゥクトゥクの運転手さんに出会いました。彼は、誰もが無理だと言っているオールド・マーケット近くのホテルまで行ってくれると言うのです。半信半疑でしたが、かなりの距離を波を蹴立てて進んだ挙句、案の定マーケット地区の入り口で頓挫しました。すると彼は大型の車を持って来るからここで待っていてくれ、ここまでの料金はホテルについてからでいい、というのです。意外な提案に驚きながらも、私たちは進むも引くもできない状態でしたから、街角のできるだけ水の浅い所を選んで待つことにしました。ほぼ1時間ほど待ったでしょうか、彼は大型の四駆でやって来ました(恐らく配車の会社の運転手もしているのでしょう)。そして無事に私たちをホテルに届け、私たちのお客さんを降ろして、更に我が家まで送ってくれました。割高料金を要求しませんでしたし、自動車の料金さえ請求しませんでしたから、本当に親切でしてくれたのだと思います。それに、私たちがそのまま待っていると信用してくれたのがとても嬉しかったので、固辞する彼に無理矢理にほんの僅かの心づけを受け取ってもらいました。


写真:アンコール・ワットへの道 まだ水が浅い段階です。


写真:オニュチャン村周囲水浸しの雑貨屋の前で遊ぶこども

緊急災害対策会議を終えると直ぐに、フンセン首相は一か月先に迫った今年のプノンペンでの水祭りのボート・レースを中止すると発表しました。趣旨は「全国から集まる400以上のボート・ティームへの国からの補助は総額約1,000,000砲傍擇屐今年はこれを災害復旧に充てなければならない」というものです。この祭りがカンボジアの人々にとって年間を通して最も楽しみにしている行事であり、あらゆる分野が複雑に絡み合っている大イベントだということを考えると、その余りに早い決定に驚きましたし、首相の“鶴のひと声”のようにも聞こえたのですが、一方で私はこの単純明快さを好ましいものとも感じました。「自粛すべきかどうか」というような抽象的議論、各官庁間・官民間の調整などに無駄な時間を費やさないこの“単純明快さ”もまた、カンボジアの人々の逞しさなのかも知れないと感じたのです。
今年の水害は確かに異常な規模のものでした。しかし河川の氾濫そのものは、カンボジアでは雨季に雷が鳴るのと同じような普通の自然現象です。有機物を豊かに含んだメコン(川)やトンレサップ(川)の水は、プランクトンや魚を育て、氾濫はその流域に農業のための肥沃な土地を提供します。雨季にトンレサップ湖が数倍にも拡大するのは、メコンの増水に押されて、プノンペンで合流しているトンレサップ川が逆流するからですが、そのお蔭でトンレサップ湖の魚は格好の隠れ家としての“水中の森”を与えられ、600種にも及ぶ淡水魚はカンボジア人のタンパク源の60%を担っています。いわば“カンボジアはメコン・トンレの賜物”であり、ある意味で河川の氾濫はなくてはならないものだとも言えます。勿論先にも触れたような壊滅的は被害を受けた人々は別ですが、私たちの目には一般のカンボジア人が予想以上に落ち着いてこの事態に対処しているように見えます。これが、歴史を通して今に至るまでのカンボジアの人々と“水”との付き合い方なのでしょう。勿論、災害を防ぐための治水灌漑を近代化をする必要はありますが、近代技術の導入によって、これまで“水”がカンボジアの人々に与えてきた“恩恵”をも同時に失わせることがないよう、心を用いることが大切だと感じたのでした。


写真:オー村 小魚を網ですくって発酵させ、プロホックという調味料を作ります。


写真:雨季の終わりを告げる空。小学校の上にかかる虹。

カテゴリ:かれんより カンボジア

カンボジアに見る子どもたちの学ぶ姿勢
定期的にお届けしていますカンボジアからのリポートですが、今カンボジアは雨季の真っ只中です。シエムリアプ市街地の中心部は水浸し状態とのこと。カンボジアに暮らしながらボランティア活動を続けている恩師の先生も、ご自宅から空港まで片道10キロの道をさながらクルージングのように走った、と様子を伝えて下さいました。更に子どもたちの暮らしぶりについても送って下さいましたので、ご紹介します。

(引用)

 カンボジアで始終耳にする言葉に、「サ・ルオー」という語と「サ・プーカエ」という語があります。“サ”は“生徒”、“ルオー”は“良い”、“プーカエ”は“能力がある”という意味ですので、前者は生活態度や内面性の優れた生徒を、後者は成績の優秀な生徒を指しています。私たちが日ごろ関わっているオー村の子どもたちの中に、まさに「サ・ルオー」と「サ・プーカエ」を兼ね備えた一組の姉妹がいます。姉のロング・ソヴァンと妹のロング・ソリーです。7人兄弟姉妹の3番目と4番目の年子で、ソヴァンはしっかり者、ソリーはやや甘えん坊という個性の違いはありますが、とても仲が良く、二人とも学校の先生たち、村の人々、友人たちの多くから信頼され、愛されています。

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 9月のはじめ、「日本語ひろば」が始まる前に、自転車で学校にやって来た妹のソリーが、私たちを見るや否や駆け寄って来、私たちの胸に飛び込むようにして「先生!高等学校の卒業試験に合格しました。すごく嬉しいです!今晩は家族が簡単なパーティーをしてくれます」と叫びました。顔中を喜びで一杯にし、私たちの腕を掴んで放そうとしない勢いです。農村の子どもたちにとって12年間の通学を全うすることがいかに難しいか、ちょうど前回の「通信」で触れたばかりですが、ソリーのような能力のある生徒にとってさえ、これまでの道のりがどれほど険しいものだったのかということを、彼女の喜びの表現から改めて知らされました。
 二人の家はオー村の標準的な藁ぶき屋根の木造高床式です。姉のソヴァンの話によれば、夕食が終わると、子どもたちはそれぞれ別の場所、例えば一人は部屋の中、一人は部屋の外(高床式の部屋の下の空間)に別れて勉強に入るそうです。日が沈むと、室内では自動車のバッテリーを利用した電球の灯りをつけることができますが、部屋の外ではローソクの灯りで勉強をしているということでした。蚊には悩まされるでしょうし、風雨の強い時にはさぞ難儀なことだろうと想像してしまいます。

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 話は少し脱線しますが、「音楽ひろば」で最近私たちは「蛍の光」の歌を子どもたちに紹介し、練習をしました。これは、「音楽ひろば」の生徒の全員が6年生ですので、小学校卒業を前にしてこの曲を演奏し歌うのも良いのではないかと思ったからです。勿論子どもたちにとっては初めて耳にする曲でしたが、幸い歌詞のカンボジア語訳が手に入りましたので、鍵盤ハーモニカ(ピアニカ)を弾き、合唱(! 二部になっています)をすることが何とかできるようになりました。カンボジア語の歌詞は日本語ような文学的なものではありませんが、学校での友との別れを描いた内容になっていますので、子どもたちもこの歌を選んだ意味を分かってくれた様子でした。
 この歌を取り上げたことによる副産物として、私が気づかされたことが二つあります。一つは、日本語の歌詞が現代の日本人にとっていかに“古めかしい”ものになってしまったか、ということです。それに気づいたのは、この「音楽ひろば」を訪ねてきて下さった日本からの若い世代のお客さんの殆どがこの歌詞を覚えていない、ということによります。今でも多くの卒業式で歌われるのでしょうが、若い人たちの頭には定着しにくいのでしょう。“蛍の光”“窓の雪”はもともと詩的隠喩ですから、現実的ではないからと言って“古めかしい”という理解の仕方は適切さに欠けるとは思いますが、それにしても現代の生活様式とは余りにかけ離れた表現になってしまったという事実も、あるのではないでしょうか。
 一方もう一つの気づきは、カンボジアではこの隠喩は充分に生きている、ということです。「蛍の光」のカンボジア語訳にこのような比喩が使われていないことは勿論ですが、ソヴァンやソリーに限らず勉強を続ける子どもたちの現実は、“蛍の光 窓の雪 書よむ月日 重ねつつ”、そのままなのだろうと思います。

 先週の日曜日、「奨学金生徒の集まり」で、ロング・ソリーともう一人の高校卒業生ティエラー(男子)のために卒業祝いの小さな式を行い、パソコンで作った簡単な表彰状と記念品のボールペンを贈りました。この「小さな奨学金制度」は小学校1年生から高校3年生までですので、この式は二人との「お別れ会」をも兼ねていました。ここでこの二人に簡単なインタヴューをしたのですが、その中の「どんな点が自分の長所だと思っていますか」という質問に対するソリーの答えは、「勉強が好きなこと、そして父、母、兄弟を大切にしていることです」というものでした。ソリーはシエムリアプ市内の大学で会計学に進む道を選び、数日前から片道15キロの道を自転車で通い始めました。昨年高校を卒業した姉のソヴァンは現在、市内のしっかりした日本語学校の寮に入り、日本語ガイドを目指しています。あと半年ほどでライセンスの取得という最大の関門に臨むことになりますから、私たちも内心ハラハラしていますが、たまに出会う時には彼女のカラッとした笑顔に触れて、私たちが逆に慰められています。

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 この二人の姉妹の伸びやかな姿を見て、後に続く多くの子どもたちが強い刺激を受けていることは確かだと思います。たとえ貧しい農村の困難な生活の中でも、“希望を信じて生きる人”がどんなに活気に満ち魅力的かということを、多くの子どもたちが感じ取るようになるでしょう。しかし、最も大きな刺激を受けているのは、たぶん私たちです。この二人の内面的な良さや能力の高さはひときわ“顕著”ですが、私たちは彼女たちに限らず全ての子どもたちからも、人間が本来どれほど魅力的なものとして造られているのかを、常に見せてもらっているからです。

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カテゴリ:かれんより カンボジア 子育て・教育・スポーツ

カンボジアの支援現場より
カンボジアの恩師から現地の様子を記したメールが届きました。これまでも何度かご報告させていただいていますが、引き続き現地の様子をお伝えします。

(引用)
2週間ほど前、CさんとRさん(共にはたち代半ばの女性、夜間大学の4年生、シエムリアプ・カトリック教会に所属しています)に案内されてトゥムヌプ・オニュチャング村の子どもたちに会いに行きました。二人は大学の最終試験も終わったので、日曜日を利用して貧しいこの村の子どもたちへのケアーを始めたいということでした。
オニュチャング村には乗用車が入る道がないので、私たちはそれぞれ彼女たちのバイクの後ろに乗って村に向かいました。この村はアンコール・ワットの直ぐ手前に位置していますから、バイクが走る道はアプサラ道路と呼ばれる観光道路で、カンボジア内ではめったに見ることができないほど整備されています。
行き交うのは観光バスやトゥクトゥクですが、勿体ないと感じるほどすいていて、生活道路としては殆ど使われていません。比較的最近、この道沿いにアプサラ機構(遺跡を保全管理する政府機関)のオフィスが建設されましたが、大きな洒落た建物で、ひときわ目を惹きます。
私(隆一)を乗せたRさんは、「貧しい人々の様子は、観光客には見えないんですよね」とつぶやきました。確かに、近くにそれほど貧しい村があるとは思えなかったのですが、この舗装道路を離れてアプサラ・オフィスの裏側に回り、僅か100メートルほどデコボコ道を行った木立の裏に、オニュチャング村の集落が広がっていました。
一見して、私たちがいつも関わっているオー村より更に貧しい村だということが察せられました。

すぐに子どもたちとの交流が始まったのですが、私たちにとって予期しない経験となったのは、その後Eさんという中年男性と出会ったことでした。彼はトゥローという伝統楽器の演奏者だということで、私たちを熱心に彼の家に誘ってくれ、演奏を聞かせてくれました。
楽譜も見ずに、気持よさそうにカンボジアの行事でお馴染みの曲を次々と弾きながら、自分の演奏に合わせてスコー・ダイ(小太鼓)でリズムをとるように私たちを促したり、トゥローそのものを弾いてみるように勧めたり、とても気さくな人で私たちを楽しませてくれました。
全盲の奥さんも優しく私たちを迎えてくれました。聞くところでは、Eさんは田畑を持たないため、普段は荷車を曳き、くず拾いをして生計を立てているそうです。副職として結婚式などで 演奏することがありますが、7人のグループとして2日間雇われて、一人当たり1?だということです。
式場が遠い時にはバイクのガソリン代で消えてしまうと言っていました。そしてこの話をきっかけに、Eさんをはじめとしてこの村の人々は田畑を持たず、それがこの村が通常以上に貧しいことの背景だということを知りました。

カンボジアの農村では、仮に田を持っていても収獲した米を商品化できる農家は少なく、一般には一年間家族が消費するだけの米の収穫があるかどうかが問題となっているという現状です。そのため、生活を維持するためには農業以外に現金を得る道を探さなければなりません。
丁度6月26日に、rfa(ワシントンにキー・ステーションを置くカンボジア語放送局)がこの問題についてウェブサイトに取材記事を載せました。その内容の幾つかを抜粋、要約してみます。

30歳代の男性オーム・パウさん
「衣服を買うお金も子どもの通学に必要なお金もありません。10歳で4年生の娘を学校が休みの日に草刈りの仕事に雇ってもらい、学費を稼がせています。食事も充分には与えられず制服も買ってやれませんから、中学校に進ませることはできないでしょう。とてもつらいです。」

43歳の男性メーング・ニーさん
「家計の苦しい親は、子どもが5年生以上になって何らかの仕事ができるようになると、すぐに学校をやめさせます。」

二十歳代の女性ムト・パーンさん、涙ながらに
「学校に通わせることはおろか、病気になった時に病院へ行くお金もありません。食事を充分に摂れないので、血液不足の病気をもっています。子どもたちを働きに出さない限り、物を買うお金も食べ物を買うお金もありません。」

何人かの話
「米の収穫が少ないので、大人も子どももイモ畑の草むしりの仕事に雇ってもらいます。一日働いて1000リエル(20円くらい)です。」

男性チョムナクさん
「学問が大切なことは分かっています。でも定職が何もない以上、残念ですが子どもを学校に行かせることができません。」

6年生で退学した若い女性
「勉強はしたいです。私が学校に行けなくなった理由はたくさんあります……学校が遠いこと、ノートを買うお金がないこと、お父さんがいないこと、などです。学校をやめてからもう随分時間が経って、文字を書くことができません。」

この記事は、事態を憂えている中学校の先生のコメントも記しています。―
「年度の初めに7年生(中学1年生)は1クラス50人で5クラスでした。ところが年度末には5クラスは変わりませんが、1クラス20人になりました。半分以上がいなくなってしまったわけです」。

田畑を持っている場合でも農民の生活の実態がこの記事の内容のようであるとすれば、田畑のないトゥムヌプ・オニュチャング村の人々の生活がどのようなものか、想像に難くありません。

話はもとに戻りますが、Eさんとの出会いに先立って行われた「子どもたちの集い」では、小学生を中心に約50人の子どもたちが集まってきました。
その表情に暗い影は見えず、カンボジア特有の子供らしさを発散させていました。この日の集いでは特別なプログラムは用意せずただ顔合わせを目的にしていたのですが、CさんとRさんが上手に子どもたちをリードをして、歌を教えたり自己紹介の仕方を教えたりしていました。
これまでにない体験を、子どもたちは心から楽しんでいる様子でした。ただ、私たちの心をよぎったのは、この子どもたちが近い将来負うことになる生活上の負担がどのように重いものになるか、学校で学ぶことを妨げる障害がどのように大きなものになるか、という心配でした。

CさんとRさんの大学卒業後の将来像も確定しているわけではありませんから、トゥムヌプ・オニュチャング村の子どもたちとの関わりが今後どのように進んで行くのか、まだはっきりとは見えていません。
ただ、カンボジアの若い女性二人が特に貧しい村の子どもたちを心にかけ、彼らの喜びのために何かをしたいと願っている限り、私たち二人も彼女たちの友人として、
できるだけ傍に付き添っていたいと考えています。
(引用終わり)

カテゴリ:かれんより 外交・国際関係・拉致問題

カンボジアからのお便り
定期的にカンボジアより恩師のボランティア活動の様子をお伝えさせて頂いています。今回は被災した日本の事をカンボジアの方々が心配して下さっていることが伝わるお便りが届きましたので、ご紹介します。

(以下、引用)

一時は街で出会う人のほとんどすべてが、たとえばレストランのウェートレスやバイクタクシーの運転手さんまでもが、日本の大震災についての心配や哀惜の念を伝えてくれました。フンセン首相はじめ閣僚たちが日本大使館に記帳に訪れた様子がテレビで放映され、各テレビ局やラジオ局はいち早く特別番組を組んで支援金活動を開始しました。あるホテルは宿泊客一人について宿泊費の内の一日1ドルを支援金にあてるとメッセージを出し、あるゲストハウスでは世界のおよそ20種類の言葉による応援メッセージをTシャツにプリントしていました。もともとカンボジアの人々は日本に好意的で、実際の生活の上でも何らかの形で日本人と接点を持っている人が多いので、この震災を単に遠い国の出来事として受け止めることはできないのでしょう。オー村の子どもたちの多くも心配してくれました。「日本の人たちのために祈ってください。あなたたちの祈りはきっと、日本の人々にとっての大きな力になります」と伝えました。 (引用終わり)

"Pray for Japan"はまさに世界各地に広がっていること、感謝の気持ちで一杯です。

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カテゴリ:かれんより 東日本大震災 カンボジア

カンボジアの若者
これまでも恩師のご縁でビーチサンダルを贈るなどの活動をご報告してきましたカンボジアの様子を皆さんにもご紹介します。

(引用)
 高校卒業試験をパスしたオー村の生徒については前回の通信でお伝えしましたが、先日その内の二人が突然シエムリアプの我が家を訪ねて来ました。オー村の生徒が都会に出て来ることは稀で、これまで2年間も関わっていながら市街地で出会うことは一度もありませんでしたし、私たちも全く予期していないことでしたので、この突然の訪問に驚きました。この二人、ソヴァンとターワンは共に20歳の女性で、家の門を入るなり、「せんせい、こんにちは! おげんきですか!」と日本語で叫んで満面の笑みを浮かべました。実は二人とも、観光ガイドを養成する日本語学校への入学手続きのために街に出て来たということでした。
 オー村の「日本語教室」に参加している小学校から高等学校までの生徒約110名の中で、前年度高校3年生だった生徒はこの2人を含めて僅かに3人、今年度は1人だけです。それだけ、高校を修了するまでの通学を全うすることが難しい、ということでしょう。ソヴァンの場合、中学と高等学校は家から8?離れていて、田舎の道を自転車で順調に走っても片道40分かかり、雨季には通行が不可能になることが度々ある、ということでした。二人とも木造高床式の家に住むごく一般的な農家の娘で、田植えや収穫の時期には父母の農作業を手伝い、毎日の食事の支度を受け持つことは当然のことだと受け止めています。農家としての経済状態は中程度ですが、娯楽やおしゃれのための余裕はありませんし、文房具さえ充分とは言えません。
 彼女たちは日ごろから“めっぽう”快活な若者たちですが、この日我が家で1時間半ほど話していた時には、殊のほか晴れやかな表情に終始していました。12年間の通学を全うできたという思いや、これから新しい世界に向かって歩みだそうとする昂揚感がそうさせていたのでしょう。
しかし、彼女たちの将来は決して約束されたものではなく、むしろ今、幾つもの新たなハードルが眼前に現れてきているということでもあるのです。彼女たちは街の日本語学校に月曜から金曜までの毎日を自転車で通うと言っています。その距離は20?強ありますから、片道1時間半近くかかるかも知れません。月額10?の授業料の捻出も課題の一つです。それでも二人は私たちの心配をよそに、「だいじょうぶですよ」と事もなげに笑っていました。
 実は問題がもう一つあり、二人ともバッタンバンという隣の州にある「教員養成学校」の入学試験も既に受けていて、もしこれに合格すればこちらに通うことを優先して、将来は高等学校の教師になる希望を持っています。ただ合格の望みが叶えば、バッタンバンで2年間を過ごすという難しい課題が生じます。学校は国立で授業料は不要ですし、住居は恐らく親戚を頼ることになるのだと思いますが、日々の生活費や、授業料以外の学費をどのように賄うかを解決しなければなりません。それでも彼女たちは悲愴感を少しも漂わせていません。この若い女性たちの生き方の爽快感はどこから生まれてくるのだろうかと、自分自身に問うような気持で、私たちは彼女たちの話に耳を傾けていました。
 
 この二人とは別に、若いカンボジア人の生き方を見せられたケースがもう一つあります。D君は26歳の、とても生真面目な性格でどちらかと言えばインテリタイプの独身男性です。母親や妹と同居していますが、家計は大変苦しく、彼が一人で背負っているという状態です。彼の家を訪問した人の話では、家族全員で一尾の魚をつつき合う食事をしているということでした。それでも彼は大変な向学心の持ち主で、私たちが最初に彼に出会った時には、既に日本語の会話をかなり習得していました。更に自力で大学にも通っています。痩せていて背丈も低いのですが、主たる仕事にしているのは空港の荷物運びです。誰の目にも“向かない仕事”と映ります。私たちも不思議に思い、他の仕事はないのかと尋ねたことがあるのですが、結局、一番報酬の良い仕事を選ばざるを得ないということでした。その他に彼はカンボジア人に日本語を教えたり、日本人にカンボジア語を教えたり、時には日本のNGOからの臨時の依頼で簡単な翻訳や通訳の仕事を受けたりしながら、何とか家計と学費を賄ってきました。
 一か月ほど前、このD君が我が家を訪ねて来た時、いつもは表情の硬い彼が珍しく目を細めて、「先生、嬉しいニュースです。空港の正社員に採用されて、チェックイン・カウンターで働くことになりました」と報告してくれました。予想しなかった展開に私たちもびっくりすると同時に、彼のこれまでの切ないほどの努力がこれ以上望めないような形で実を結んだことに、思わず快哉を叫びました。「3年間じっと辛抱して、やっと夢が叶いました」と彼はつぶやくような声を洩らしました。次の週にも彼から別の報告がありました。「大学の卒業研究はパスしました。11月に結婚します。皆さんのお蔭です」。永く冷たい冬の後、いきなり桜の満開を見ているような気持です(カンボジア人には通じにくい表現ですが)。2週間後の結婚式には、心からの祝福を送る気持で参加できそうです。

 もう一つだけ、小さなできごとについて触れさせて頂きます。ほんの数日前、私たちはシエムリアプ市のはずれにある「シルク・ファーム」(フランス系のNGOが運営しています)を訪ね、そこで一人の若い女性に出会いました。どこか見覚えがある人だと思ったのですが、すぐに思い出しました。もう3年も前になりますが、彼女が街の大きな日本語学校の生徒だった時、友達に案内されて2,3度我が家を訪ねてきたことがある、ボッパーという名の女性でした。勿論彼女も私たちを憶えていました。そのころはまだ、簡単な挨拶もおぼつかない程度でしたが、今ではこの大きなNGOで日本語のガイドをしているということです。清潔な環境の中でカンボジア・シルクの文化を紹介する仕事は楽しく、やりがいがあると話していました。全くの偶然の出会いだっただけに、ここにもまた、健気に人生を歩んで花を咲かせている一人の若者がいることを知り、私たちはとても幸せな気持ちにさせられました。

 上に述べたカンボジアの若者たちは別々のケース、別々の人生を歩んでいますが、彼らの生き方にある種の共通点があることに気付きます。それは、自分が負っている苦境を“他の人や周囲の環境のせいにしない”という点です。特に上記の三人とはずいぶん永い付き合いですが、彼らから、自分の置かれた状況についての文句や愚痴や他への非難などの言葉を一度も聞いたことがありません。少し妙な仮定ですが、「もし自分が同じ状況に置かれたら」と考えると、いかにも社会や政治のせいにしたり、学校のせいにしたりしそうです。親のせいにするかも知れません。健全な政治批判、社会批判は当然必要ですが、どのような状況の中でも“人のせいにしない”彼らの生き方が前に述べたような“爽快な”印象を私たちに与えるのでしょう。私たち外国人はカンボジアが国としての“自立性”に乏しいことを批判しがちです。しかし、私たちは多くのカンボジアの若者から、人間としての“自律性”の豊かさを充分に学べる、という気がしています。

クーレーン山への遠足

途中休憩
手伝ってくれた村の人たちと仕出し弁当

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水遊び 一番手前がソヴァン
ボッパーと、シルク・ファームで

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(引用おわり)
恩師が「人間としての自律性」を身につける様にと中高時代に何度も話されていたことを思い出しています。「石の上にも3年」日本で最近聞かれなくなった言葉をカンボジアの若者から教えてもらった気がします。

カテゴリ:かれんより 外交・国際関係・拉致問題 カンボジア

カンボジアのお正月
昨年末ブログでもご報告させて頂きました通りカンボジアにビーチサンダルを贈る活動を継続して行っています。
ビーチサンダル、海を渡る

カンボジアの恩師から現地の様子を記したメールが届きましたので皆さんとも分かち合えればと思います。

(引用)
日本ではいよいよ本格的な春が到来、桜を楽しまれたことと思います。カンボジアでは年間で一番暑いとされる時期を迎えました。
カンボジア正月は4月14日から16日までが中心になっていますが、先日11日の日曜日にオー村で正月の集まりをしました。子どもたちが中心ですが村人約300人が集まり、楽しい一日を過ごしました。

この集まりの中で、以前から予定した通り、お預かりしていたビーチサンダルを子どもたちに渡しました。実はその他に衣類などもあって選べるようになっていたのですが、私たちが予想していた以上にビーチサンダルに人気が集まり、結果としてひとつ残らず引き取られて行きました。
新しく、可愛いものだったためと思いますが、今後、子どもたちの健康や安全のために大いに役立つことでしょう。何枚かの写真を添付致します。

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集まりの雑踏の中で充分に良い写真が取れなかったのですが、様子の一端をお伝えできると思います。改めてお礼を申し上げます。 先ずは、ご報告とお礼まで。これからもよろしく、お支え下さい。
(引用終わり)

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暑い季節、裸足のまま、時にはゴミ山と呼ばれているところで、カン集めなどをするため、怪我や病気になることもあると言います。日本からのビーチサンダルが、カンボジアの子どもたちを守ってくれますように。
子どもたちの笑顔のために、これからも活動を続け、皆さんにもご報告してまいります。


カテゴリ:かれんより カンボジア

ビーチサンダル、海を渡る
以前のレポートでもお伝えさせていただきましたが、
中高時代の恩師のご縁で、カンボジアの子どもたちが
未来に夢を持ち、それが少しでも実現できるよう
周りの方々と一緒に私も活動をさせて頂いています。
(2009年7月8日 カンボジアへ支援の輪を広げよう)

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この度、NPO法人レジェンドサーファーズクラブ
ビーチサンダルを集めて下さり、先日、事務所をご訪問くださいました。
サーファーのみなさんが愛用しているビーチサンダルは、足によく馴染み足場の悪いところでも歩きやすいのだといいます。

カンボジアの子どもたちの怪我や病気の予防にも役立つことでしょう。
日本の皆様の温かい気持ちがカンボジアに届き、素敵なクリスマスを迎えられますように・・・。

カテゴリ:かれんより カンボジア

カンボジアへ支援の輪を広げよう
不思議な縁が繋がって、カンボジアの子どもたちを救おうと、日本の大人たちがかれん’sルームから声をあげました!

教育に関しては漆原隆一先生よりスライドショーを交えて、カンボジアの子どもたちの現状についてお話頂きました。
漆原先生は私の中学一年生の担任の先生で、現在は奥様と一緒にカンボジアへ移住し、「友人のひとり」として子どもたちに日本語を教えたり、奨学金制度を立ち上げたり、幅広く活動されています。

スライドショーの様子.jpg


中でも非常に興味深かったのは、教育の立ち遅れは、長い内戦の中で、リーダーとなりそうな人から虐殺されたことが深く影響しているというお話でした。
ポルポト派による支配下で、知識階級から殺されていったのだそうです。つまり、教育者たちが虐殺されたことで、30年経った今でも、教育体制が整っておらず、リーダーと成り得る人材も育っていない現状なのです。
リーダーの不在は、国にとっての危機と直結しているのだと再認識しました。

この話し合いには、サーファーチーム、医療チーム、歯科チーム、医薬品チーム、教育チームの方々が参加し、活発な意見交換が行われました。
まだまだ模索中ですが、みんなの気持ちを盛り上げながらできる運動、そして、現地で喜ばれることは何か、いろいろな側面から考え、それぞれの分野で大きなムーブメントを起こしていければと思っています。

エコキャップをお渡し.jpg


※NPO法人全国障害者福祉援護協会の理事長がいらしたので、エコキャップの進呈式も行いました。

カテゴリ:かれんより 外交・国際関係・拉致問題 カンボジア

サーフ アンド ピース
昨日は憧れのレジェンド、ゴッデスの鈴木正さんにお目にかかるために茅ヶ崎に行って参りました。ユーミンやサザンの歌にも登場しているゴッデス。息子さんの鈴木剛さんはサーフィンの全日本チャンピオンとして世界の大会でも活躍されています。海を愛する一人として、私もサーファーの皆さんの社会活動に参加するべく、お話をさせて頂きました。

鈴木 正さんと.jpg


NPO法人レジェンドサーファーズ・クラブには、サーフシーンを牽引してきた世界中のレジェンドと呼ばれるサーファー達が「社会貢献活動」を目的として結集し、様々な活動を行っています。
昨年はミャンマーのサイクロン被災者らのためにステッカーの販売収益などを支援団体に寄付しました。
現在は、タイやカンボジアなどで裸足で過ごす子どもたちに、足の怪我などを防ぐためにビーチサンダルを送りたい、という企画が出ています。母校である横浜雙葉高校の恩師がカンボジアに住んでいることもあり、私もこのプロジェクトに参加させて頂く予定です。たくさんの方たちとの出会いの中でネットワークをつなげていくことは、私の大切な仕事だと思っています。

レジェンドサーファーズ・クラブのスローガンは「サーフ アンド ピース」

サーフ アンド ピース ステッカー.jpg


世界のどこかで争いが起こっていたとしても波の上は平和。波を求めて集まるサーファーに人種や国籍、宗教は関係ない。サーフィンは一人でやるものだけれど、サーファーが集まれば大きなうねりをおこすことができる。その言葉に強い感銘を覚えました。
サーフィンをやっていない人でも“平和のうねりをおこす”行動には参加できます。
私はこの17区から真の政治のうねりを巻き起こしたい。
方向性が見えず、不安が消えない今の政治を何とかしたいという気持ちを、日々の活動にぶつけていきたいと思います。

カテゴリ:かれんより 外交・国際関係・拉致問題

応援メッセージ(中学1年生の時の担任の先生より)
日々、さまざまな方々よりお励ましを頂いておりますが、今日は中学1年生のときからご指導を頂いている先生から、牧島かれんに応援のメッセージを頂戴致しました。
先生は私が中学1年生のときの担任の先生で、学校を退職なさった後、ご夫婦でカンボジアへ移住なさいました。そして “友人のひとり”として、まだまだ生活が困窮している人々のために手助けをなさっています。先生が身を以て実践されている奉仕の精神を学び、私も人のために働く人でありたいと思います。

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中学1年生の時の担任 漆原隆一先生よりメッセージ

漆原先生よりカンボジアから応援メッセージ.JPG



牧島かれんさんが「河野洋平衆議院議長の後継者となった」というニュースを耳にして、高校卒業後も親しく関わりが続いていた方だっただけに、先ずは一瞬驚きましたが、しかしすぐに、この決断は彼女にとって最も自然で最も適切な選択であるに違いないということを理解しました。

 私はクラス担任としてかれんさんを中学一年生に迎え、教頭として高等学校を送り出しました。彼女の属した学年は私の永い教師生活の中でも特に記憶に残るほど豊かで多様な人材に恵まれた学年で、優れたリーダーシップを発揮する人材にも恵まれていましたが、特にかれんさんは中学・高校を通じて常にその中心的な存在でした。彼女が持つリーダーとしての特質は、大きな声で号令をかけて周囲を引っ張るというタイプではなく、彼女の謙遜で真摯な姿勢に周囲の誰もが好感を寄せ、信頼を置いて責任を委ねるというタイプのものでした。個人の中で“自律性”と“協調性”を兼ね備えることは時に難しいものですが、彼女は自律的であると同時に、誰に対しても偏見を持たず、周囲の者、弱い立場の者への優しい眼差しや配慮を欠かしません。かれんさんの人柄全体を一言で代表させるとすれば、それは“誠実さ”だと、私は思っています。時、場所、事柄、相手によってぐらつかない彼女の生き方の一貫性からは、私自身も多くを学びました。私たちの学校は教育目標の一つとして、「社会人としての立場がどのようなものであれ、常に奉仕的な指導者、人々に奉仕するために“選ばれた者(エリート)”であれ」と生徒たちに呼びかけてきましたが、彼女は中学に入った当初からこの資質を身に付けており、学校生活・大学生活を通じてそれを磨き、更に社会人として見事に花を咲かせたのだと思います。

 私は日頃から、現代の日本で優れた人材を最も必要としているのは政治の世界だ、と考えていました。政治では、その本質上、党利、党略、派閥の縛り、官界・財界との関係等々、言わば政治の力学から全く自由になることはあり得ないと思いますが、それにしても従来の日本の政界には、「国民に向けて魅力的なヴィジョンを掲げる奉仕的な指導者」が乏しかったと思います。小手先・口先の政治的手法によってではなく、自らの持つ深い世界観、人間観に基礎付けられたメッセージを国民に発信する政治家が必要です。
 かれんさんは、こうした期待に充分に応え得る方だと、確信しています。

漆原隆一


カテゴリ:応援メッセージ

月刊 政治かわら版 牧島かれん国政報告
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